組合組織の変遷
(1) 福岡県醤油同業組合(明治39年~昭和13年)
本組合は、明治39年2月に創立された。 当時、県下醤油業界の実情は、生産量15,677KLで県内の需要を充たすに足らず、しかもその醸造法は家内工業の域を出ず、江戸時代後期と殆ど変らず機械化、工業化の段階ではなかった。 一方、製造する醤油の品質は必ずしも優良ではなく販売方法もそれぞれであった。このような状況の中、北九州の工業地としての発展に伴う人口増加で九州一の消費力を有する福岡県が、他県製品の進出に委ねなければならない状況に陥る恐れがあった。これに対応するため県下同業者の団結を図り統一節制ある同業組合を組織する必要があった。 | |
明治36年1月 | 発起認可あり |
明治36年5月 | 創立総会を開催するも出席者定数に充たず中止となる。 |
明治38年12月 | 総会を開催し同業組合の設立を満場一致で可決成立 |
明治39年2月 | 成立認可があり、本組合の創立を実現した。 組合員数 393名 記録に残る最高組合員数 460名 |
(2) 福岡県醤油工業組合(昭和14年~昭和16年)
商工業組合法の制定により昭和14年11月に同業組合を工業組合に改組した。(福岡市醤油工業組合を吸収) 組合は原材料の確保、資材不足を補う代用原料の選択、更に醤油の生産増強に全力を注ぎ、その使命達成に努力した。 昭和14年組合員数 339名 |
(3) 福岡県醤油統制株式会社(昭和17年~昭和22年)
政府が物価統制令の強化をはかり、生産と配給を一本化し強度の統制機構を命じたので、要請に応じ工業組合を解散し昭和17年2月福岡県醤油統制株式会社を設立した。 当時戦局の推移に伴い、逼迫した物資で生産、供給を担当することは困難を極めたが、県民の食生活にあまり支障はきたさなかった。 昭和19年福岡市上小山の社屋は解体し、福岡市天神町株式取引所へ移転 昭和20年6月19日空襲により焼失、福岡市中庄町1 瓦組合を買い取り移転昭和17年組合員数 369名 |
(4) 福岡県醤油工業協同組合(昭和22年~現在に至る)
本組合創立は戦後の疲弊した国内情勢から業界再編成を迫られ、さらに統制会社と一体となった生産部門を商工協同組合法に準拠して分離、戦後急速に伸びた代用醤油(新醤油)生産業者を含めた組合員数262名で昭和22年7月設立した。 経済が復興し、安定してくるにつれ、食品製造業界では大企業と中小企業との経営格差が拡大しつつあり、醤油業界においても、少数の大企業と多数の中小企業との分化により、産業の二重構造が進展した。 組合は中小企業等協同組合法の精神に則り、県内企業の指導育成、情報の伝達、原料資材の斡旋、技術指導等の事業を行い、県内業界の発展のため努力を積み重ね、明治39年同業組合創立より103年の年月を経て、今日に至っている。 また、組合員の事業に関する共同設備の設置として、組合員の要望にこたえ筑紫野市に生揚の共同工場としては全国一を誇る福岡県醤油醸造協同組合を創設、三次に至る増設工事を終え近代的最新の設備を有し、合理化に寄与している。 |